第86番札所に古くから伝わる伝承の池
志度寺には有名な大蛇伝説があります。
その舞台は長行(ながゆき)の奥に、静かにたたずむ池。
それが「幸田池(こうだいけ)」。
池の前には古びたお堂――**当願堂(とうがんどう)**があり、
そこには、昔この地に生きた兄弟の切ない物語が伝わっています。

志度に住む猟師の兄弟
昔むかし、志度の長行(ながゆき)の庄に、
**当願(とうがん)と暮当(ぼとう)**という猟師の兄弟が住んでいました。
兄の当願は裕福な家の娘を妻に迎え、安定した暮らし。
一方、弟の暮当は貧しく、毎日の糧を得るため山に入る日々でした。
志度寺の法会の日に起きた悲劇
ある日、志度寺で大きな法会(ほうえ)が開かれました。
兄の当願は朝から礼服を整えてお参りに出かけます。
しかし弟の暮当は、家族を養うために山へ猟に行くしかありませんでした。


山中で「今ごろ志度寺ではありがたい説法が行われているのだろうなぁ」と
思いながら歩く暮当。
そのころ寺にいた兄の当願は、
「弟め、あの穴場で獲物を独り占めしているに違いない」と
嫉妬の心を抱いてしまいます。
蛇になる兄
その瞬間、兄の身体に異変が起こりました。
腰から下が蛇の姿に変わり、悪臭が立ちのぼったのです。
「ありがたい法会の場で妬みを起こした報いじゃ……」
悟った兄は、帰りが遅い兄を心配して寺にやってきた弟に言いました。
「暮当よ、もう家には帰れぬ。幸田の池まで連れて行ってくれ。」
弟は涙ながらに兄を背負い、山を越えて池へ向かいました。
幸田池へ ― そして大蛇となる
やがて二人は幸田池にたどり着きます。
兄の当願は池のほとりでみるみる全身が蛇の姿となり、
やがて静かに水底へと沈みました。
弟・暮当はそれから毎日のように池に通い、兄の冥福を祈り続けたといいます。
やがて当願は池の主となるほどの大蛇に成長しました。

大蛇の涙、黄金の酒になる
もはや幸田池では手狭になるほどに大きく成長した兄は久しぶりに会った弟の暮当に言いました。
「このままではこの池では住めないほどに大きくなってしまう。そこで私は満濃池に移り住もうかと思う。お前には世話になった。これを持ってゆけ。この玉を瓶に入れて酒を造るがよい。
少しは暮らしの足しになろう。」
その玉は、なんと兄が自らの目をくりぬいたもの。
暮当がその玉で酒を造ると、
香り高く、いくら酌んでも尽きない酒ができたといいます。
村人たちはそれを「当願の涙酒」と呼び、暮当は少しずつ豊かになっていきました。
玉の悲劇 ― そして弟の行方
しかし、その噂が領主の耳に入りました。
「その玉を献上せよ」との命令。
暮当は泣く泣く差し出しましたが、
さらに国司から「もう一つの玉も差し出せ」と命が下ります。
困り果てた暮当は満濃池の兄を訪ね、事情を話しました。
兄は怒ることなく、
「もう一つの玉も持って行け。水の底では目がなくても不自由はない」と言い、
再び自らの片目を差し出したのです。

暮当は涙で玉を磨き、献上しました。
その後、褒美を辞して去り、以後、姿を消したと伝わります。
怒れる蛇、海へ飛ぶ
弟が行方知らずとなったという話を知った当願の怒りは激しく、
満濃池の堤を突き破り、瀬戸内海の槌の門(つちのと)まで飛んだといいます。
その後、村人たちは旱魃のとき、
酒を入れた大樽を槌の門に投げて雨乞いをしたところ、
不思議と雨が降ったという話も残っています。
今も残る当願堂
今も幸田池のほとりには、
兄・当願を祀る小さなお堂「当願堂」が建っています。
静かな池の前で、
人々は今もこの兄弟を“雨乞いの神”として静かに手を合わせています。



