香川県さぬき市・志度湾。
瀬戸内でも指折りの景勝地として知られるこの美しい海は、実は戦争の記憶を深く刻んだ場所でもあります。
かつてここに隠され、撃沈されたのは護衛空母「しまね丸」。
そのマストは今も田園地帯に立ち、消防団の警鐘台として使われています。
一見のどかな風景に見える志度湾が、かつて世界史の舞台だった――その事実をたどります。
志度湾としまね丸


護衛空母「しまね丸」
「しまね丸」は、もともとは大型タンカーとして建造された船です。
1943年、日本海軍に徴用されて護衛空母に改造されました。
- 全長:約170メートル
- 排水量:約11,800トン
- 速力:約18ノット
- 艦載機数:約30機
正規空母に比べると小型・低速で、船団護衛や輸送の任務に就いていました。
しかしその巨体は、志度湾の穏やかな景色の中ではあまりに不釣り合いな存在だったに違いありません。
戦局の悪化と燃料不足により、1945年には志度湾を「疎開先」として停泊地に選び、木や草で覆い隠すようにして偽装されました。
地元の人々もその作業に加わり、乗組員たちと顔見知りになった人も少なくなかったはずです。
しかし──1945年7月24日。
イギリス太平洋艦隊の艦載機が襲来。
巧妙に施した偽装もむなしく、しまね丸は標的となり、爆弾と機銃掃射を浴びました。
その光景を、志度の港の人々はどんな思いで見つめていたのでしょうか。
手伝った偽装の木々が炎に包まれ、顔見知りになった乗組員たちが次々と命を落としていく。
やがて船は轟音を立て、海に沈んでいきました。
イギリス軍が唯一沈めた空母
「しまね丸」は、過去から現代に至るまで、イギリス海軍が艦載機によって撃沈した唯一の空母。
風光明媚な志度湾が、一瞬にして世界戦史に刻まれる舞台となったのです。
マストの転用と弾痕
沈没後、引き揚げられたマストの一部は志度町に移設され、消防団の警鐘台として再利用されました。
戦後は火災警報や防災の役割を担い、地域を守る存在に。





いまもマストの中ほどには、空襲時の弾痕が残っています。
それは単なる古い鉄塔ではなく、戦争の爪痕であり、犠牲者の記憶を伝える証人です。
バベ木端と説明板
志度の岬には「バベ木(ベベキ)の端」と呼ばれる場所があります。
「バベ木」とは、海辺に生える常緑樹ウバメガシのこと。
かつてこの岬には一面にバベ木が茂り、その名が地名として残ったのです。

いま、そのバベ木端には「しまね丸」に関する説明板が設置されています。
風光明媚な海と植物の名に由来する地名、そして戦争の歴史。
自然と戦争遺産がひとつの場所で重なり合い、志度湾の特異な歴史を静かに物語っています。
現代に生きる「しまね丸」
「しまね丸」はいま、オンラインゲーム『艦隊これくしょん(艦これ)』にもキャラクターとして登場しています。
戦争で悲劇の象徴となった空母が、現代のエンタメの中で「別の姿」として存在している。
歴史が過去にとどまらず、いまを生きる世代にも伝わっている証です。

まとめ
風光明媚な志度湾。
その美しい海には、かつて巨大な護衛空母が隠され、そして沈んだという歴史が眠っています。
唯一イギリス海軍が艦載機で撃沈した空母「しまね丸」。
そのマストは田園に立ち、弾痕を残したまま地域を見守り続けています。
バベ木の岬に立つ説明板、田園に佇む鉄塔。
何気ない風景の中に、世界史と地域史が交わる瞬間が潜んでいるのです。