
綾川と「羽床富士」が語る風景
国道32号を西へ進み、綾川イオンを過ぎたあたり。視界に飛び込んでくるのは、小さくも美しい三角形の山です。
地元では「羽床富士(はゆかふじ)」の愛称で親しまれ、正式には 堤山(つつみやま) と呼ばれています。
この山の名にある「堤(つつみ)」という字には、水をせき止める土手の意味があります。実はその名の通り、この堤山のふもとにはかつて大きな池が広がっていたのです。

幻の大池「渡池」
その池の名は 渡池(わたりいけ)。
JR羽床駅付近から国道32号を跨ぎ、堤山と向かいの快天山との間いっぱいを満たしていた、まさに巨大な池でした。

今では一面の平野と田んぼが広がり、電車や車が往来する静かな田園風景となっています。けれど、ほんの数百年前までここは水をたたえる大池だったと考えると、想像がふくらみます。
綾川の流れが生んだ池
現在の綾川は、滝宮天満宮のあたりで大きく西へと曲がり、坂出方面へと流れています。
しかし古くは直進して、この渡池へと流れ込んでいました。
中世の頃、この綾川をせき止めることで、渡池は生まれたといわれています。人工的に造られた大池であり、自然の恵みを最大限に活かそうとした先人たちの知恵がここにありました。
池の役割と暮らし
大池である渡池は、農業用水としての役割を担っていたと考えられます。
水を安定して確保できることは、平野に暮らす人々にとって命綱。米づくりを中心とした生活には欠かせない存在だったはずです。
また、池は時に漁場や生活用水の場にもなり、人々の暮らしと密接に結びついていました。地元の古い記録や語りの中にも「渡池」の名は残り、その大きさと存在感を物語っています。
消えた渡池と今に残るもの
しかし、時代は移り変わり、近代に入ると干拓や土地改良が進められました。渡池もその流れの中で姿を消し、肥沃な農地へと生まれ変わります。
今では完全に池の姿は失われ、地図を見ても渡池の痕跡はありません。

ただし周辺を歩いてみると、いまも一部に大きな「堤」の跡が確認できます。これこそが、かつてここに広大な池が存在した証拠。堤山の名もまた、その歴史を静かに物語っています。
幻を想像する楽しみ
もし渡池が現在も残っていたなら、羽床富士を水面に映す「逆さ富士」のような絶景が見られたことでしょう。
朝焼けや夕暮れの水面に山が映り込む姿は、観光地としても注目されたに違いありません。

いまは田園地帯となり、電車や車が行き交う風景に変わりましたが、心の中で池を重ね合わせてみると、失われた風景がよみがえるようです。
渡池が残したもの
渡池は幻の池となりましたが、その名残は地名や山の名、そして人々の語りに生きています。
「ここにかつて大きな池があった」――それを知って眺めるだけでも、何気ない讃岐の田園風景がぐっと豊かに感じられます。
何もない平野の景色も、目を凝らせば大きな物語を秘めている。渡池は、そんなことを教えてくれる幻の池なのです。